石垣島出身のH君は、大阪の大学を卒業後に弊社へ入社した。
僕が会社に戻ってきた時の彼は業務課に配属されていたので、1年間ほどは共に汗を流して働いた。
当時の業務課は入出荷に伴う課題が山積していて、結果的に誤った商品を出荷することで、お取引先にご迷惑をおかけすることが散見された。
当時の林顧問には、以下のような厳しい指摘を何度も受けた。
「ミスには必ず原因がある。その原因をミスを犯した個人の責任にしていたのでは、組織として進歩がない。そのミスがなぜ発生したのかを冷静に分析して、例えば商品の置き場所を改善するなどの"見える化"を進めることによって、ミスの起因となっている職場環境を改善するべきだ。」
林顧問のアドバイスも参考にしながら、僕とH君を中心とした当時の業務課は、在庫商品と入荷商品の管理、出荷時の検品、作業上で重要な伝票の管理など、ほぼすべての作業行程を見直すことになり、ミスを大幅に減らすことができた。
ようやく業務課が落ち着いたことで、H君は晴れてもともと希望していた営業課へ転属となった。
彼にとって大きかったのは、手取り足取り、時には厳しい叱咤と激励を交えながらH君に営業職の真髄を根気よく教えた土畑参与の存在だったろう。
その道のプロフェッショナルである土畑参与の「お客さんの気持ちに寄り添う」営業スタイルを間近で学ぶことができたのだ。
決して打算的でなく、持ち前の人柄が自然とにじみ出ている土畑参与の仕事のすすめ方は、H君のパーソナリティにも合致したのだろう。
とにかく、営業課でのH君の仕事振りは、持ち前の明るさとコミュニケーション能力をフルに発揮した素晴らしいものだった。
責任をきっちり果たす仕事を通して取引先の担当者様にも可愛がられ、彼が担当した取引先の売上は順調に伸びていったのである。
そのH君が諸事情で故郷の石垣島へ帰らなければならなくなった。会社には衝撃が走り、社長を筆頭に全力で慰留に努めたが、あきらめることになった。丸3年での退社となったのだ。
会社の3階でおこなった3月30日の送別会の最後は、涙々のお別れとなった。
この原稿を書いている今頃、彼は石垣島に帰る飛行機に乗っているはずである。
石垣島とその周辺の離島に魅せられて、何度も訪れたことがある僕はかなり明確にその姿をイメージすることができる。
素晴らしい仲間に囲まれながら、人懐っこい笑顔で活躍しているH君の姿を。
H君、ありがとう。
(山地 正晋)